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睾丸。

江戸城を無血開城へ導いた勝海舟は、9歳のときに死にかけている。



麟太郎と名乗ってい当時、漢文を習いに町の先生の所へ向かう途中、大きな野良犬に襲われ、
睾丸を噛まれたのです。

通りかかった人が、自分の家で介抱し、すぐに父親に連絡した。

父は、病気(脚気)で寝ていたのですが、知らせを聞いて飛んで来ました。

麟太郎は真っ青な顔をして、息も絶え絶えでした。

ちょうど医者も来ていたので、
「命は助かるか?」

と尋ねると、

「どうも難しい」

という返事。そこで、父は、

「おまえは武士の子じゃ。犬などに負けてはならぬ!」

と励まし、駕籠に乗せて、家へ連れて帰った。

すぐに別の外科医が呼ばれた。傷口を縫い始めたのはいいが、麻酔薬のない手術である。

麟太郎は激痛をこらえ、震えている。

父は、何を思ったのか、刀を抜いて、枕元の畳に突き立てて、
「これしきのことで泣いてはならぬ、泣いたら、切るぞ!」

と叱りつた。麟太郎は必死に耐え、最後まで泣かなかった。

医者は、

「今晩もつかどうか、命の保証はできない」


と言う。この言葉を聞いて、家中の者が泣き出した。

父親は、
「バカやろう。こんなことくらいで麟太郎が死ぬもんか!」


と叫んで、外に飛び出した。裸になって、井戸水をくんでは頭からかぶり、息子が助かるように、必死で願った。


家に入ると、麟太郎は苦しそうになっている。父は裸で側に寝て、震える息子を抱き抱えるようにして温め、
「麟太郎、死ぬなよ。父がついてるぞ。がんばれ!」

と耳元でささやくのでありました。

父は、来る日も、来る日も、井戸水をかぶり、息子の側に寝て、励ました。

しかも、それは七十日間も続いたのです。


父親の必死な思いが通じたのか、麟太郎は、ようやく傷が癒えて、床から離れることができるようになりました。

これは、壮絶な看病です。

『自分を、これほど大事に思ってくれる父がいる』

という安心感は、とても大きな生きる力を、子供に与えることとなります。
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『母はいつも自分とととにいる』吉川英治。

十八歳の頃、吉川英治はズボンに「赤い腰ひも」を締めて、油まみれの工場で働いていた。

周囲からは、

「好きな女の腰ひもを、肌身離さず締めてやがる」

と笑われ、からかわれても、全く気にせず、仕事を続けていた。

この一本の赤い腰ひもは、彼の心の支えだった。


吉川英治といえば、

『宮本武蔵』『三国志』『新・平家物語』など、
数々の名作を残した昭和の大作家です。


しかし、そんな吉川英治氏には学歴がない。小学校を中退している。

それは貧しさのためだった。

父親が事業に失敗し、病気で倒れたため、11歳の英治が働きに出ることになったのです。

18歳までは生まれ育った神奈川県で何度も食をかわりながら苦労します。
その時をこう言ってます。
『窮乏のどん底つづく。一家食せざる日あり』

やがて英治は、「東京へ出て、働きながら勉強したい!」と夢を抱く。


母から、わずかばかりなお金を貰って上京したものの、現実は甘くなかった。


金属を加工するラセン釘工場に住み込んで、朝から晩まで働いても、給料はほんのわずか。
学校へ通うなど、絶望的だった。

それでも彼は、母に心配をかけないように配慮して、毎日のように手紙を書いていた。


英治は煙草がすきだったが、安い給料では、とても買うことができなかった。

人の吸い殻でも拾いたいたと思っていたときに、
横浜から小包が届いた。

小包は色あせた「赤い腰ひも」でくくってあった。見覚えのある母の腰ひもである。

包みを開けると、欲しかった本が出てきた。さらに、刻み煙草まで入っているではないか・・・。

母の優しさに胸が熱くなった。と同時に、

「この煙草を買うお金を作るために、母は、どれだけ徹夜して針仕事をしたのだろう」

と思うと、涙があふれてきた。

翌日から、英治は、小包にくくられていた
「赤い腰ひも」をズボンに締めて仕事に出るようになった。

笑われようとも、

「このひもは母の身代わりである。母はいつも自分とともにいる」


と心の中で言い聞かせていたという。

英治は、仕事を何度も替えながら、独学を続ける。

28歳で、講談社の懸賞小説に入選。これを契機として、作家への道を着実に歩んでいくことになる。


吉川栄治が生涯に執筆した小説は、長編約80編、短編約180編という膨大な数にのぼった。


昭和35年、68歳で文化勲章を授賞したときに、青年時代を振り返って、次のように語っている。

「僕は何回か死を思った。僕は遊侠の群(不良仲間)に身を投じて、太く短くこの人生を送ろうと何度思ったか知れない。
しかしその度に(栄治、馬鹿なことはおしでないよ)(栄治、大事なお前の一生じゃないか)(栄治、後で後悔おしでないよ)と、ともすればぐれそうになる自分を正道に引き戻してくれたものは、何をかくそう、バンドの上にしめられた色のさめた一本の母の腰ひもであった。
自分はこの腰ひもに、支えられ、導かれ、なぐさめられ、励まされて、やっとここまで辿り着いてこれらたんだ」


離れていても、母はいつも自分とともにいる。

吉川栄治さんだけではないはず、

僕たちにだって、同じはず

母はいつも自分とともにいる。

大きな愛で自分を支えてくれている母に父に

感謝ですね!

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めん房朝日屋チーフのひとり言です
自称『アホのそば屋』です。
日々、沢山の『ありがとう』に、ありがとう。

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